最新刊『ビーライフ!』=白亜館物語=の主張

日本の良識をまもる最後の砦としての警鐘文学

濱野成秋(作者)

日本の教育道を誤らせるな

 最近の若者には覇気がない。大所高所から国家や社会のあり方を見て主張することをしない。かれらの興味は就活だけか。なんとも情けない。

 日本全国のこの風潮を見ていると、私のような60年安保世代の心は煮えくりかえる。

 私は大戦中に焼夷弾をかいくぐって生き延びた世代である。それなりに、ひときわ日本の平和、安全、外交、防衛に敏感で、国内の腐敗堕落を眼前にして許せない思いを抱く。そのせいである、今まで警鐘作家として『日朝、もし戦えば』(中央公論新社)、『愚劣少年法』(同)、『日本の、次の戦争』(ゴマブックス)を書き続けてきた。 

 日本がひとたび外交、立法、改憲でまちがえるとどうなるか。市民生活はかくもめちゃめちゃになるぞ。そんな小説に仕立てて世に訴えた。大変な反響だった。元防衛庁長官が献辞を書き、日朝交渉の座の人々が読んだ。立法、司法界、防衛担当者も動いた。TVタックルでは、生活の維持にいたるまで伝える機会をくれた。執筆したかいがあったというものだ。

 

大学問題を扱うに、作品では理想郷を構築した

 今回はこの延長線上で、大学界の腐敗堕落と対決した。とくに女子の主張を書かねばと思った。

 書くに当たり、私は日本で有数の伝統女子大の教授歴があるので大変気遣った。暴露と思われると心外であり、前任校に気の毒だし、ひいては私自身にも降りかかる。そこがポイントだった。だが日本中の大学の残渣を際立たせねば警鐘性が出ない。どうするか。これが最大の課題だったが、結論として副題にあるごとく、大学経営や学問の世界の腐敗堕落と対決し、それに染まらず果敢に戦う、まったく別個の伝統女子大を作中に構築することにした。編集部もそれなら迷惑をかけまいと判断してくれた。出来たのが白亜館女子大である。中身は総てフィクションだから問題なし。但し公共の利益のため、作中にはリアルな問題を次々登場させた。

 通読してもらえば一目瞭然だが、白亜館女子大は一途に教育と研究に邁進する学究肌の女子大である。大学経営の面でも世間の汚辱には染まらない。天下り、乗っ取り、みょうな昇進、研究費の無駄遣い、巨額資金の流用、基本金の枯渇、不正人事など、それと気づけば世間一般とはちがい隠蔽しないで解決に向かう。それも一致団結して戦うのである。このけなげな姿は作品全体にみなぎり、まさに外敵と戦うビーライフとなった。読者は作中、寮生一人にいたるまで前向きに問題解決をはかる姿に、清々しい思いをして頂けることだろう。

 物語ではしたがって、学長・理事長はじめ、教授陣、大学院生、ひいては新入生にいたるまで、自分の悩みを克服して学園のために戦う。だから白亜館女子大は全国の大学の模範的存在であると考えてほしい。

 

女性の日本国首相を出した白亜館女子大。

全国の大学は役人再雇用のルールの確立を!

 白亜館女子大は明治の開設当時、浪漫精神の自由恋愛を花開かせ、多くの才媛を育てた。これも白亜館女子大だし、フェミニズム運動の萌芽もここから出たと書いたが、じつはその部分だけが、「あとがき」にも書いたように、前任校の史実であって、文学史として拝借した。また当時は浪漫短歌が盛んで、結い流しの髪に矢絣の着物、えび茶の袴姿で、学寮で大かるた会をやった。これも幻想シーンで再現される。前任校にはないが、作品中のキャンパスには「短歌の森」があって、そこには赤い靴をはいた浪漫文学少女の魂魄も出る。そんな女子大が、創立百二十年後、ついに女性初の日本国首相を誕生させる。それも沖縄からである。

 他方、作品には野呂武揚なる無頼漢タイプの教授が登場する。彼は幼時期、空襲を逃げ回り、目の前で母親を死なせた体験をもつ。ダン井上の世話で渡米、アメリカで教育を受けて半世紀ぶりに帰国する。 

野呂は予想外の祖国の堕落ぶりに慨嘆、とくに悪者に食いちぎられる大学には慨嘆し、唯一改善の可能性を秘める白亜館を助けんと、乗っ取り屋と身を挺して戦う。二度と帰還しないことを誓って。お解り頂けるか、そのイメージはたった一機で南の空に消えた特攻機である。伴淳みたいな風貌だと書いたが、かっこいいぞ。

 ストーリーは皆まで言うまい。まずじっくり読まれて、なるほどうちでも同じ問題を抱えて温存とるな。そう思われた方はさっそく改善に向けて取り組まれよ。私立だけではない。国公立も経費の使途など問題が多いね。大学人諸君は日本の大学を良くするために立ち上がってほしい。私大の理事長のみなさんは、連盟も協会も天下り採用には一定のルールを作り、フェアな大学をめざして節度ある行動を執られるように。こうして全国の大学が改善されたら、今回、私が『ビーライフ!』を警鐘文学としてなりふり構わす世に問うたかいがあったと思う。