Criti-fiction『ビーライフ!』=白亜館物語=

Postmodern Structureを解析する

(中央公論新社刊・ISBN978-4-12-004412-0

濱 野 成 秋(作者)

 

はじめに

 現代アメリカでは作者自身が自作について構造解析をするのが当然であり、アメリカ文化センターが招聘した作家は、しばしば、クリエイティヴ・ライターとして詳しく解析していた。とくにポストモダン・ライターズは読者からそれを求められる傾向にあった。私は学生時代以降、ほぼ半世紀にわたって、創作と並行して現代アメリカ作家論を展開していたので、彼らの解析はきわめて興味深く、John Updike, John Cheever, Saul Bellow, Jersy Kosinski ほか、1)多くの作家論を展開するさい、そのベースにしたのは、彼らが『ニューヨーカー』誌のインタビューなどで語った自己解析であった。この自己解析はともすれば見当違いな解釈をいましめ的確なものにする効果がある。

 1970年代後半、ニューヨーク州立大学バッファロー校の英文学研究科でメイラーやマラマッドを教える機会があった。このときも、作家たちの自己解析を論拠とした。この時期、後述に詳しいポストモダン作家Raymond Federmanとは同僚であった。彼のcriti-fiction論あるいはsurfiction理論はこんにちの私の創作に影響している。本論ではこのポストモダン文学の原点の一つともいえるsurfiction理論を中心に、私の最近作『ビーライフ!』の解析を試みる。

 

1.Surfictionにおけるファクトとフィクションの位置づけ

 フィクション・ライターとしては、ファクトは一つの疑似フィクションである。

 認識論から言えば、ファクトは一面のフィクションに過ぎない。創作者はファクトを自己の心理センサーで捉える。その段階を経るとファクトはフィクションであって、現存事象ではない。

 さてそのファクトであるが、ファクトとフィクションの関係性について、Federman氏もまたそこに垣根を設けない。彼はfactfictionに投影して映像化する。それが頻繁であるから、彼の書物は文字が画像となり、そのエクリチュールは100%フィクションとなる。たとえば彼は私(筆者)という実在の人物を作中に登場させ、ロケットに乗せて宇宙に打ち上げるシーンを書く。これなどは典型的なフィクション形成を意味する。

 筆者はこの作家を日本に招聘したが、東北大学はじめ東北各地の大学でニュー・ライティングズの論理としての講演会をもち、その流れで「東北アメリカ文学会」で講演してもらったが、かれの「フィクション」+「批評」すなわち、fact(事実)をfiction(虚構文学もしくは虚構言説)に投入して新たなリアリティを構築する理論は多くの日本の研究者にポストモダン文学を理解させるに役立った。筆者は通訳兼解説者として同行したので、無意識のうちに影響を受けたが、彼の理論に耽溺するうちに、このポストモダンなリアリティ現出法を抜きにして、こんにちの状況文学は不可能だろうとさえ思えた。2) 

 そう考えた底流には、私自身がその直前まで「新日本文学会」に属し、野間宏、中野重治、佐多稲子さんら、戦中戦後のリアリズム作家とテーブルを囲んで文学の可能性を論じ合う時期が5年ほど続いていた経緯がある。私は当時、すでに左翼思想を脱却していた。この点では野間さんたちと同じで、政治思想で状況文学を描写することには限界があると痛感していた。また文学は政治思想のプロパガンダの道具ではない。とはいえ、私自身、戦中、焼夷弾を浴びた世代であるから、戦争の脅威やイデオロギー論争に無関心ではなく、社会の矛盾撞着にも現代の、戦争体験なき世代よりはるかに敏感であったから、同じく激烈な体験のあるフェダマン氏のリアリティ描出法は自分の文学の可能性を引き出すとさえ想われたのであった。

 フェダマンの言う、criti-fictionもしくはsurfictionが私の作品とどう関係するか。

今回私が発表した長編『ビーライフ!』は、このsurfiction そのものではない。だがフィクション自体をこの理論で構築し、リアリティを演出した。換言すれば、作品『ビーライフ!』はフィクションにおけるリアリティ構築法が同時に現実世界の批評としても機能し、フィクションそのものがフェダマンの言うように、リアリティそのものとなっている点では同じである。これはフェダマン理論というより、ポストモダン小説全体の基本である。

 フィクションはつねにファクトをむさぼり食う。それを容体変化させて文学性のないファクトをフィクション・リアリティへと昇華させる。ファクトをフィクション化しない歴史書においては、ファクトはたんなる素材である。クリティカルに批判する対象となれば、歴史観を伴う評価を下したにすぎない。だがひとたび昇華させられると、ファクトはフィクション構造のingredient(成分)であって、フィクションにファクトが混在しているわけではない。ドクトローやクーヴァーが混入させたかに見える史実はファクトではなく、フィクションの成分にすぎない。クーヴァーの場合、彼は作品『火刑』(1977)において、原爆製造工程を東側に漏洩した罪で死罪を宣告された「ローゼンバーグ事件」を描くに、ローゼンバーグ夫妻の処刑をマンハッタンで「火刑」にする。そこがフィクションと歴史書の歴然たる相違点である。彼はこの作品の前に発表した『ダニエルの書』(1972)においても、ローゼンバーグ事件を題材にしているが、フィクションと歴史的事実とを区別しているわけではない。

 このファクトの「昇華」、「成分化」を理解せず、史実を歪曲化した、史実を揶揄した、流用したなどと言うのは、ポストモダン文学を解析する基本スタンスをわきまえぬリーダーレスポンスにすぎず、これでは論外な批評ということになる。かかる批評家はT.S.エリオットのいうimperfect criticとみなすべきであろう。クリエーターとしては、かかる論評ははなはだ迷惑であるが、遺憾にも筆者の『ビーライフ!』は、献本直後にさる不勉強な学者から固定観念に毒されたかのような辛辣は批判を浴びて苦笑した経験がある。その人物は過去半世紀にわたって文学を教えていた人物であったゆえに、哀れみを禁じ得なかったが、かような批評眼しか持ち合わせない学者は並の読者と同じであるにもかかわらず、その職業性から、この発言は説得力をもち、さらに無知で未読権力者の心を動かすことがある。そうなると、罪は大きく、笑って済ませられない事態を招きかねない。

 フェダマン氏もそれを指摘していたが、文学史的にいえば、抗議調の、ハル・フォスターのいう「抵抗のポストモダン文学」が登場することになる。すると以下に取り上げるヴォネガット氏の場合のように、国務省レベルで誤解され、日本への講演旅行にもなかなか許可がでなかったような、事態に立ち至る。ここではこの要素も含め、「抵抗のポストモダン」について、論考する。3)

 

2.多元的時空移動を展開するゾーン・エクスパンションによるリアリティ

 ヴォネガットのtimespaceを瞬時に移動する作品構成は彼の代表作Slaughterhouse Five (1969)全体にわたって行われる。過去、現在、未来を瞬時に飛翔するこの作品では、第二次大戦のドレスデンと現在のアメリカでの居間とトラルファマドアという遊星とが一体となる。そのどれもが主人公にとっては同等の強迫観念であり、時空移動はあって当然で一カ所に留まること自体が不可能とおもえるほど、彼の想念に刻み込まれた傷痕は深い。

 これはフェダマンがナチ統制下のフランス中を逃げ回った強迫観念と共通するし、戦時中の空爆の音を聞きながら防空壕で過ごした幼児期の筆者の強迫観念とも一致するし、『ビーライフ!』の野呂武揚の心の傷痕とも通底するものである。いずれの場合も、個人の内面リアリティは現在だけにあるのではなく、過去もまた決して消滅しないリアリティなのである。

 上記4者の現代性は、Donald Barthelmeの「ファクトの断片」(fragments) をもって構成される” City Life”を送っている。その断片現象と予測不可能な未来を甘受して生きねばならない点でも4者は共通している。筆者は野呂の口から言わしめたが、彼の想念では過去の大戦は終わっていないし、他国の人々も、たとえば中国人や北朝鮮の人々にとっては、戦争終結感がない。あるのは日本人だけだと言わせている。現今の中国人抗日暴徒の動きを見ても、戦争終結感の欠落現象を見て取る必要があり、いったい日本人の何人がそれができているかといえば、ほとんど切望的で、とくに政治家にその観念がないから、日本を理解して貰えないのは当然である。4)

 モダニズムの時代との差異はどうか。

 WWⅠ以降の神の死を受容した喪失の世代の作家たちが抱いた”nada”あるいは”nothingness”と同質か。いや、さらに不可知論に満たされている。現代は情報過多、情報氾濫の時代であるから、マスコミに操られた人間の想念には「定着性」というものがない。予測の付かない断片的な出来事がモダニズムの当時よりも何万倍という錯綜した状況のなかで起こるから、人はみな違った意識で生きており、それを中国のように国家体制で抑え込まれて暴徒化するか、あるいは現代の日本人のように ”void” ”vacuum”を日々感じて暮らすことになる。

 かくして『ビーライフ!』の野呂武揚のように、人は誰しも、「空白期間」をブラック・ボックスとして抱えた人間として、このvoidを埋めるための行動が必要となる。

 主人公野呂武揚はその名のとおり、「のろま」を暗示するイメージと「榎本武揚」を想わせるような反逆者の名前を持つ。その風貌は往年の喜劇俳優伴淳三郎のような、さえない風貌の持ち主ということで登場するが、伴淳が『二等兵物語』で戦争を庶民の立場で語り続けたように、武揚もまた、つねに微少で無力で疎外された被害者として存在している。

 作品『ビーライフ!』の主人公野呂武揚はしたがって、どの側面にスポットを当ててみても、際立つことのないアンチヒーローである。またそうであるがゆえに、彼は自らの人生の「空白期間」を埋め、同時にその存在証明としてこの祖国に大きな痕跡を遺す野望があったといえる。

 執筆段階で作者は、野呂武揚とは対照的な人物を配する必要が生じた、というわけではないが、野呂とは対照的な女性を彼の相手役として登場させることにより、歴史における混沌と因習の両方を際立たせることができるかと想われたので、相手役として東堂桜子を登場させた。

 桜子は幼時期、武揚とはごく近隣に住む存在であった。ごく至近距離なのに、東京大空襲では空爆の被害者ともならず、戦後も通り一本隔てたところに住んで、ピアノを弾き、何の過不足もなく暮らしている。彼女はそこで、日本のもっとも伝統的なキャノンである『源氏物語』に浸りきることも可能で、60年安保の混沌のなかでさえ、若き野呂武揚にむかって、「あなた、雨夜の品定めを読んだ?」などと、状況を度外視した話題が不似合いとも感じずに言えるほど、ぬるま湯の生活ができた。

 野呂武揚と東堂桜子は同時期にこの世に現れた世代なのに、期せずして180度異なる運命を背負った人間であった。野呂にはその幼児体験として、東京大空襲が自分史最大の事件であったし目前で焼け死ぬ母の苦悶にゆがんだ顔をトラウマとして脳裏に焼き付かせている。その後、飢え死にする直前、幼い野呂は特攻隊の生き残り上原良司に助けられて、弟扱いで日吉にある慶応付属高校の建物を占拠していた連合艦隊のヘッドクオーターで共同生活をしはじめる。日本がどう崩壊していくか、彼は目の当たりにした。だが桜子はこうした激烈な状況下にはいない。

 上原良司は実在する人物で、筆者は彼の実家とも懇意であるが、本物の上原は沖縄特攻で知覧から飛び立ち、戦死している。このファクトを作者としてどう作品に投入したか。ファクトとフィクションの相関性を考え、タイム・エクスパンション理解の一助としたい。5)

 この作品では筆者は、上原が慶応大学の学生として、学徒動員で特攻隊を志願し、飛び立つ直前、彼は密命を帯びて引き戻される。その論理性を買われて、終戦工作の先兵として陸海軍主戦論者に説得に当たる密命を受けたのである。上原は一日も早く終戦させる役目を担い、命がけで交渉に当たるが、本土決戦も辞さない身勝手な将校たちを説得しきれなかった。この辺りもフィクションであるが、作品では彼は戦後、戦争をいたずらに引き延ばした者たちを全部粛正してから自ら自決するため、幼い野呂少年の手に恩賜の拳銃を遺して姿を消す。彼は次世代にたいし、過去人としてのメッセージを、この一丁の拳銃に託してこの世を去るのである。

 野呂はその拳銃をもって50年ぶりにこの祖国に戻ってきた。ニック・キャラウェーならぬナレーター役の円城寺雅彦の前で野呂はずぶ濡れの身体を拭きながら、雷撃だの直撃だのと戦争言葉を連発するが、かれの持ち物のなかには、恩賜の拳銃があったとおもえば、戦争そのものを過去世界から運んできたともいえる。時空のエキスパンションはこうしてひろげられる。

 

3.歴史的ファクトとフィクション構成の実像

 上原良司は現在、自由主義者の慶応の学生であったにもかかわらず、祖国のため喜んで命を捧げたということで、靖国神社発行の遺書集のトップを飾っている。筆者はこれは故人の望むところではないだろうと、反発して読むが、作品で上原の遺した、戦争犯罪者を彼自身の手で私刑にふしたというかたちで、主人公の武揚の心に刻み込むことにした。この上原の姿勢はじつは五味川純平の『人間の条件』の主人公の執った最後の私刑の場面と共通し、凄惨をきわめるが、それをインプットされた野呂武揚は最後の場面として、舞台を上海に移し、ぬるま湯日本のキャンパスではない、ささくれた状況世界を背景にして、『人間の条件』の主人公同様に、日本を腐敗している元官僚たちを有無を言わさず消してしまうのである。
 武揚の幼時期はフェダマンやコジンスキーと似ている。まだ未就学時代にダン井上の世話で渡米、その後、アメリカで教育をうけ、いまでは全米第一の文学者として、日本の国土を踏む。ほぼ60年ぶりの帰国である。いや、作品構成上、ただ一度だけ、つまり60年安保のときだけ、日本のことが気になって帰国、上原どうよう慶応の院に在籍、そこから国会デモにかよった。そのとき、武揚は東堂桜子と恋愛関係におちたが結婚は断られるという失恋体験をもつ。東堂は現在、白亜館女子大の学長兼理事長になっている。6)
 主人公野呂はこのように、自分史としては、日本人としてはほぼ完全に戦後史を欠落させている。あるのは幼時期の焼夷弾の雨、雷撃、機銃掃射、空爆の被災者としての悪夢、特攻隊員との共同生活体験から得た祖国愛、不正には暴力をもってしても立ち向かう心。それらが、ブッキッシュな日本に関する断続的な断片知識と膨大な世界文学の知識と綯い交ぜになって繰り出される。野呂はある意味ではフェダマン的人生そのものであり、コジンスキーそのものであり、彼の『ペンキを塗られた鳥』の主人公同様に、戦乱の巷をにげまどう避難民であった。そんな人物が、いま、現代に生きて、いつも軍隊用語ばかりが次々と飛び出すなかで、猛烈な情熱で繰り出す近現代日本文学講義を白亜館女子大で展開、教室満杯の女子学生たちを熱狂させる、という設定であるが、過去人は現代に生きて、さらに多くの過去人を呼び覚ますのだが、ここにこのアカデミック・ミステリーの持ち味が出ることとなった。7)
 野呂の「空白期間」はもちろん、アメリカニズムに満たされているから、彼のノーションは生死の境をさまよった極限状況、60年安保時代の敗北感、失恋など、心の傷跡ばかりであるが、野呂はその矛先を平和ボケ日本人に向けられるのは当然であった。
 この歴史観はしかし他方、彼がアメリカ時代に密命を帯びて、日本を監視する役割とともに、徐々にコスモポリタンな世界となって、顕在していく。この辺の読み込みはかなり精読した読者でさえ見逃していたので、指摘して置くが、野呂はナショナリストではない。あくまで、ポストモダンな時代に生きるグローバリストなのである。その行動は巻末に至って明確になる。
 ここでは野呂と同じく、アンチヒーローであるビリーを登場させたヴォネガットの創作方法と対照しながら、さらに深く解析を試みる。
 Kurt Vonnegut, Jr. はWelcome to the Monkey House (1968) やBreakfast of Champions (1973)において顕著なように、強烈なブラック・ユーモアを入れてフィクションに社会風刺や警鐘性を持ち込んだ。彼の抗議対象はベトナム戦争であり、第二次大戦の東ドイツの古都ドレスデンに無差別空爆を実行した連合軍の罪科をファクトとして取り上げ、それを昇華せしめ、時空のナヴィゲーションのための過去世界として成分化したのが、Slaughterhouse Five (1969)であった。主人公ビリーはコカコーラのボトルのような体つきの青年で、およそ戦闘向きのタイプではない。徴兵で仕方なくヨーロッパ戦線に派遣され、ドレスデンでナチの捕虜となり、一夜を地下屠殺場に閉じ込められる。その夜、連合軍の盲爆に遭う。死者14万人ともいわれるヒロシマにも匹敵する犠牲者を出しておきながら、連合国軍は戦後もこの事実を表出せず、ヴォネガットはそれを不当として、隠蔽から開示へと進んだ。この姿勢は筆者の警鐘文学のそれと一致し、この作品はベトナム反戦運動のヒッピーやドロップアウトたちの間でミリオンセラーとなった。ところが彼我の状況のちがいと恐らくは日本人の意識の開放性の欠落のせいで、隠蔽を美徳とする読者たちは、「開示より隠蔽を」と叫んでフィクションの中からファクトの抽出を試み、跡づけることに躍起となるから、滑稽であるが、筆者はこの行為を東洋の島国の後進性の現れとして慨嘆している。
 筆者はこれを記述していて偶然にもヴォネガットのビリーと、『ビーライフ!』に登場する老骨教授野呂武揚との成立条件の対比は面白かろうときづいた。
 ところが、私の『ビーライフ!』もまた、その警鐘性についてはヴォネガット文学に共通する。もちろん類例は他にもあって、前述のごとく、クーヴァーやドクトローもこれに属する。
 これらに共通するのはファクトをあつかうに強烈なエスプリとアイロニーを利かしていることで、ヴォネガット氏はその最たる者であったが、きわめて真面目な方で、私がマンハッタンの20丁目あたりのお住まいを訪ねたときには、彼の代表作Slaughterhouse Five について、構造分析して頂き、その、過去、現在、未来をナヴィゲートする構造解析は私の創作活動に大きた示唆を与えたといえる。
 野呂武揚の「空白期間」をどう解釈するか。彼の中で歴史は断絶し、断絶感を埋めるものは、彼にとって有象無象、堕落した日本の大学の残渣ばかりとしたら、野呂はどう挑むか。彼の独白はハムレットの独白どうように続くが、ハムレットのような個人の苦悩ではない。国と国、時代と時代、価値観と価値観の衝突であった。
 以上のように、『ビーライフ!』=白亜館物語=の執筆は、ファクトとフィクションを、時空を超克してどう処理するか、リアリティのグラヴィティというかベクトルというべきか、こうした問題を解決する創作活動であったと言える。いままで防衛、法律、国家体制をテーマとして警鐘小説を書き続けた筆者であるが、今回の教育問題がテーマとしては一番てこずった。それはUpton Sinclair, Sinclair Lewis, Michael Goldの活躍した産業主義の時代のように、向けるべき矛先を見定めやすいわけではなかったことに起因する。まだテクノロジーが重厚長大で、金儲け主義や過酷な労働環境が世間一般にあふれていた時代のほうが、はるかに物事の問題性をつかみ取りやすかった。当時のリアリズム小説はきわめてアナログ的な自然主義リアリズムであったが、それが十分通用しその警鐘性も従来型リアリズムで発揮できたのである。
 ところがこんにちの教育界は、財務や人事の領域でその目的性、組織、手段と、あらゆる局面で不可解性に取り囲まれている。その実態把握は容易ではない。警鐘性もまたその描出法に苦慮せねばならず、ファクトとフィクション、時空の混淆性を組み込んでそのambiguityを遺すこととなった。その結果、問題はより一層不可解となり、その状態でぽっかりひらいた暗渠のごとき奈落の奥底をのぞき込む読者諸君のリーダーレスポンスを待つしかない。


[注] 

  1. なかでもJohn Cheever とJersy Kosinski には第二次大戦でヨーロッパ戦線の経験があり、作品にもそれを書いている。
  2. 「Raymond Federman の文学理論―Surfictionの分析と評釈―『東北アメリカ文学研究』第5号。フェダマンは「現実界」と「言葉」とが作品を生んだときに、A REALITY(autonomous reality)になるという。p.50.
  3. 「抵抗のポストモダン文学」については、Hal Foster ed., The Anti-Aesthetic: Essays on Postmodern Culture.. Bay  Press. 1981.を参照。
  4. Barthelmeはしばしば断片世界を書いたので、「断片作家」(fragmentalist)とさえ言われたが、その代表作が短編” Shower of Gold” であり、Paul Auster (1947-)の「スモーク」とそのテーマや構成が類似。オースターより早期に発表しているから、筆者はオースターへの影響を指摘したい。
  5. 上原は自由主義者であったため、上官からひどい扱いを受け、知覧から飛んだが、その直前の心境が果たして遺書にあるのと同じか否か、疑問である。特攻隊の遺書は多くの場合、ひな形通りであり、為政者や戦争に対する批判を書くことは絶対許されなかったから、遺書の言葉をそのまま額面通りに受けとめるのは浅薄である。
  6. この作品では「過去」をメンタルな重荷とし、「脳裏の傷痕」としてとらえる。筆者はWilliam Gass との対談で、彼のいう過去、現在、未来の錯綜した関係性を図に示した。中央公論社『海』昭和44年12月特別号、p.297 参照。
  7. 野呂武揚は性格的にはかなり特異な存在で、過去を消滅したものとみなす、という常識はなく、常によみがえる存在として脳裏に蓄積されている。作品はその状態を維持しながら、最後まで進ませた。(主要参考文献:本文中と注に記載。他の文献は省略)